葦のつぶやき

 江別に住んで三十年あまりになります。始めてこの地に来たとき電線を震わせる風の音がいやでした。それが今では他の地に住むのは考えれれないように根を下ろしてしまいました。

Friday, April 28, 2006

幸運な犬

 ある年のふだん記より      
 ベランダから庭を見ていたらシロと目が会った。シロが家に来たのは昨年の七月の末だった。
一昨年に十数年いた愛犬の銀がなくなって、もう悲しい思いはしたくないと思ったのに家族の反対を押し切ってシロを連れて来たのは私だった。
妹が引越で三匹の犬の行き先に困っていた。可哀相だが最悪の場合は保健所にというので我が家で引き取ることにした。
シロは前にも二、三度飼い主の都合で保健所送りにというのをくぐりぬけて妹の家に来たという。だから妹はシロを幸運な犬と呼ぶ。私にはわかったようでわからない理屈だった。
 妹の家では自分の分をわきまえて、三匹の犬の中で小さくなっていたという。しかし、我が家に来ては“へえー! この犬が!うそっ!”というようにシロは態度がでかい。
動物には優しい主人の性格と、動物にも邪険な私の性格もシロはすぐに見抜いた。
ベランダから私達の動向を見張って、家の中から目を離さない。
私を見ても知らん振りだが主人だとわかると鼻を鳴らすから耳障りでうるさい。居間から主人が出ただけで自分へと続く道をじっと見ていて、姿を現そうものなら全身で飛び跳ね、前足をすり合わせ尻尾を振って歓待する。そしてえさ入れを咥えて自分の所に来るのを待つ。えさ入れが無ければ木の葉でも枯れ枝でも咥えれるものなら何でもいいみたいに思っている。いつでも主人が時間に関係なく食事を与えているわけではないのに主人イコール食事と思っているのがユーモラスだ。
主人がシロを撫でようものならまるで主従が逆なように手を休めるなと何度でも催促する。
 家族からは“お父さんがシロを甘やかすからシロがうるさいんだ”って嫌味を言われる。
私が畑の植物を味わうより生育過程を見るのに安らぎを感じるように主人はシロに癒されているようだ。 
パソコンのゲームを趣味とする主人のためにシロがきて良かったなあと思う。

Saturday, April 15, 2006

道楽に徹する人と付き合う人

 私の近しい人が目を輝かして膨らんだ財布の中味を見せてくれた。その人の夫は競馬、マージャン、パチンコ、花札と賭け事が大好き人間だ。資金の都合からか夫は妻をパチンコ屋に誘う。彼女も何度かにいっぺんは夫の顔を立ててのんびり球を転がしたという。その時に夫の目をかすめてためたお金で百万はあるといった。 
好きと上手は一致しない。家の誰かがパチンコ狂いをして家庭崩壊をした話を子供の頃からいくつも見てきた。

 その一つだが、父は商店の他、馬老いの親方もしていた。その馬老いの中に独り身のおじさんがいた。ある日、独り者だと思っていたおじさんに奥さんが引き上げてきた。周囲がおじさんのために喜んだのはつかのまだった。おばさんはパチンコ店の開店前に店の前に並び、終わる頃に家に帰る生活が始まった。おじさんの給料もおばさんのパチンコ代で直ぐに消えて食事も事欠くような生活になったらしい。おじさんのやせた体がますます細くなり、でっぷり太っていたおばさんは益々豊かな体つきになった。それでもおじさんは黒い顔を皺にして笑う優しい人だった。親方である父は生うどんやごはんに生醤油をかけて食べるおじさんの食生活を憂えた。それで父が1系を案じ、給料の一部を米とか醤油や味噌を分けて出すようにした。それでもおばさんは食物をおじさんの口に入れずお金に変えてパチンコ代に使ったようだった。そのせいかおばさんが引き上げてきて何年もたたずにおじさんは亡くなった。その後おばさんは国の世話で生活するようになった。その何年かごバスの窓からおばさんを見た。

 おばさんは太った体を白い割烹着でくるんで開店前のパチンコやの前ぬ並んでいた。おばさんが引き上げてこなかったらおじさんはもっと長生きしたかなとおもった。
 その後、膨らんだ財布の中味を見せてくれた彼女は夫のためにそのお金で車を買ったと教えてくれた。
雲の碑 冊子に投稿した文章です。