葦のつぶやき

 江別に住んで三十年あまりになります。始めてこの地に来たとき電線を震わせる風の音がいやでした。それが今では他の地に住むのは考えれれないように根を下ろしてしまいました。

Sunday, March 26, 2006

徒然の日

 春の足音と共に朝、散歩に出るようにしている。ピーンと空気が張った中、歩を進める。
今の季節は町も人も眠っているのかあまり人には会わない。それでも途中ご主人と綱引きでもしているように手足を突っ張らせて散歩している犬と逢う。犬は小さいのに引き締まった身体をしていた。まあ綱の引き手が中年の男性だから突っ張る綱をきちんと引き戻している。
 道端に落ちているうらぶれた松ぽっくりポケットへ。このごろパソコンで絵を描くことに熱中している。これを上手に描けるかなと思いにんまりする。ある日自分のポケットの中身を出したらきっとドラえもんのポケットのようになっているかもしれない。  Posted by Picasa
 昨日、思いがけない友達から電話があった。
友達の友達が家事を放棄すると夫に宣言し、そのとおりにしていると話していた。
その友達は家をきちんと守る良妻賢母型だったらしい。
彼女の心の奥は計り知れない。もしかして、自分を殺して賢く見せて生きる事が急に馬鹿らしくなったのかと考えを巡らせる。
私は夫に上手におだてて家事をさせる才覚が無い。それに私の家なら夫はそれを良しとしないであくまでも抵抗するだろう。私も小心ものだ。たまに飲む会合に出ることもある。出たらこっちのものと友達には豪語する。夫は何時までに帰って来いとか、うるさく言う人ではない。でも、自分が自分を縛ってしまう。気持ちはシンデレラと同じだ。ある時間が過ぎると家のことが気になって仕方が無い。夫は寝たか? あれはどうか? これはどうかと気持ちがそわそわしてしまう。そうなるとその場にいても楽しくない。人にも迷惑をかける。それで一足お先にと帰ってきてしまう。
私は遊ぶことも、何もしないことも、大好き人間だ。たまに夫が釣りにでも出かけて二、三日留守になると聞いただけで嬉しい。口では一人では淋しいわ。といいながらも一日目は映画でも、二日目は友達と会って食事をとか思い巡らす。でも、結局は何もしないで済んでしまうことが多い。
夫が今日は俺が食事の支度をする、あんたはすきにしていいよ。なんていってくれたらどんなにか嬉しいだろう。でも、夫は言わないし、言ったとしても、二日、三日となると自分が黙ってはいられない。何もしないでいられるような性格ではないのが自分でも解かる。人のことながらそれを通すことにストレスを感じる。  Posted by Picasa
どんな生き方をするにしろ、それなりの覚悟が必要だ。生半可な考えではそう徹することは中々難しい。
我が家ではそれをよしとするのは自分が壊れた時か、重病人になったときぐらいだろう。そうならないように思うのが賢明なのかもしれない。
子どもがそれぞれに家を出て夫婦二人だけになった。今は適当に家事をして適当に手伝ってもらって適当に暮している。なんて散歩をしながら考えた。
三日坊主の私とてこの散歩がいつまで続くか、せめてこのふだん記が発刊される日ぐらいまで続けたいものだと思う。

Wednesday, March 22, 2006

洗濯機が来た日

我が家は家具、金物、電気器具を扱っている商店だった。
昭和二〇年代の末頃、私が小学の中学年だったと思う。木枠に囲まれた大きな荷物が届いた。父がガードしていた木枠をはずと大人が腕を回しても届かない程の円筒系でドラム缶のようなものが出てきた。缶のまん中に棒が突き出ている。それが洗濯機というものだった、その時代に洗濯機などあまりでていなかった。早速井戸から水を汲んでその中に入れた。一斗バケツで二回ぐらい入ったのかもしれない。汚れものと洗剤を入れてスイッチをいれる。水槽が右に左にゆさゆさ揺れた。
家には子供が沢山いる上に病人もいたから小学生中学年でも掃除、洗濯、水汲み、食事のしたくと私も手伝わされた。
私はその手伝いの中でも洗濯は大嫌いだった。  Posted by Picasa
たらいとバケツと洗濯板と汚れものを共同水道場に持って行って洗うのだ。冷たい水に手をつけるのがいやだった。靴下や下着のような小さいものはいい。それでも一枚や二枚洗ったらもう逃げ出したかった。シーツは水につけると何処が汚れているか、何処まで洗ったのか判らなくなる。友達は遊んでいるし私も遊びたい。そんな時期に洗濯機が来た。
今のように洗濯物は真白な洗い上がりではなかったと思う。洗濯機の汚れ落ちのパワーはどうだったのか、構造上も優秀なものではない。洗剤もどんなのだったかは忘れた。水は金気のある硬質の水だ。
絞り機は水槽の上に二本のローラーがついていた。そのローラーに洗濯物をはさんでハンドルをぐるぐる回すのだ。
洗濯機が洗い終わりを告げるわけではない。きれいになったと思う頃に、水槽の上の二本のローラーを通す。
洗いからすすぎと何度もその工程を終えて漸く干す。絞り機はローラーを通すだけだから洗濯物から水がぼとぼと滴っているような状態だった。それでも洗濯機が家に来たときは嬉しかった。
今の全自動洗濯機などは汚れ物を放り込んでおくだけでいつの間にか洗いの全工程を終えている。おまけに乾燥機などもついている。
今姉妹で話すことがある。姉や妹は洗濯が大好きだという。しかし、手洗いを言っているのかなと私は思う。私は洗濯が怖い。昔のような洗濯の仕方だと一枚洗っただけでなげだしたくなる。これも昔、遊びに行きたいのにいけないで洗濯をしたトラウマかも知れないと思ったりもする。
洗濯機に拘らずあれから、時代の進化は目ざましい。掃除機、ミシン、冷蔵庫、炊飯器と何でもある。子どもの数も少ない。それでも子育てや家事が大変だと言っては母に笑われたこともある。
産めよ、増やせよ時代を生きた母は病人を抱えて店の仕事、帳簿付け、家事へと大変だったろう。あの頃の母から見ると娘である私達主婦がいかに楽な生活を送ってきたか。天国と地獄の感があるだろう。でも、母は子供達のためにそれを喜んでくれているはずだ。
今、不詳の娘は思う。母にプレゼントが出来たら何が一番喜ばれるだろうかと。

Monday, March 13, 2006

手の皺がお母さんそっくりどというサンコンさん


 この間の日曜インタビューにオスマン・サンコンさんがとうじょうしていました。
 彼は一夫多妻制の国で二十二人きょうだいの四男として生まれたとありました。二十代のはじめにギニア大使館開設を担ってきたのだそうです。彼はそれにも数々のドラマがるといいますが彼の出場したバラエティ番組でなんとなく知ってはいました。しかし、私の知っているサンコンさんのあの独特のいたずらっぽいスマイル、目がとてもいいということです。それはケニアとかの未開の地の人は皆が目がよくて遥か彼方のものを識別するといっていました。視野が8だとか10だとか言っていました。私の知る人はあまり目がよくありません。特にテレビを見たりゲームをするようになってそれが顕著になったようです。私の息子や妹などは0.1でコンタクトを入れなければ盲と同じだと嘆いています。。
 しばらく見ないと思ったらサンコンさんは一度日本を出たようです。そして、別の国に行ったりギニアに行ったりしていたようでした。又日本に戻ったのは84年とかいてありました。五年前に介護ヘルパー二級の資格を取って今や日本の老人ホームでのボランティアをしているそうです。そのサンコンさんお年寄りに接して手のしわを見るとなつかしくなるそうです。92歳でなくなったお母さんをおもいだすとのこと。それでお母さんそっくりの手をぎゅうっと握りしめて「いつまでもお元気でと声をかける」というとかいてありました。私はその記事につい頬を緩めてしまいました

Saturday, March 11, 2006

梅の開花便りを聞いて


 故郷の掲示板に梅の花が咲きました。朝、通勤にコートを脱いでいこうかと思う陽気になりました。そちらはどうですか? と書いてありました。
 朝、4時半に目を覚ましていつもの通り本を読みました。でも、この頃お休みしていたウォーキングに出かけることにしました。でもまだまだウォーキンググッツが欠かせない状況です。目無し帽をかぶりたい心境ですがギャングと間違われても困るので,しょうちゃん帽を頬のところまで深くかぶりました。そして、マフラーを頬にぐるぐる巻いて、上からヤッケの帽子を深くかぶりました。幸いこの時期では朝の散歩に出る人も少ないです。誰にも会わないで済みました。もっと暖かくなるとこの時間はウォーキングのラッシュだからそうもいかなかったでしょう。兎に角気温の変化には気をつけなければ、先日ガン検診に行ったばかりです。未だ結果も聞いていないのに脳卒中でも起こしては困ります。この何日かの暖かさで道路に雪がなくなってとても歩きやすい。しかし、まだ3月の中日です。いつ4.5日前のような雪景色になるかわからない。
 今朝ラジオからとても懐かしい歌が流れました。


1 朝はどこから 来るかしら
   あの空越えて 雲越えて
   光の国から 来るかしら
   いえいえ そうではありませぬ
   それは 希望の家庭から
   朝が来る来る 朝が来る
  「お早う」「お早う」

2 昼はどこから 来るかしら
   あの山越えて 野を越えて
   ねんねの里から 来るかしら
   いえいえ そうではありませぬ
   それは 働く家庭から
   昼が来る来る 昼が来る
   「今日は」「今日は」

3 夜はどこから 来るかしら
  あの星越えて 月越えて
  おとぎの国から 来るかしら
  いえいえ そうではありませぬ
  それは 楽しい家庭から
  夜が来る来る 夜が来る
  「今晩は」「今晩は」

(MIDI制作:二木紘三)


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〔蛇足〕昭和21年(1946)リリース。同年5月にNHKが放送を開始したラジオ歌謡シリーズの1曲として制作されたもの。歌詞は文部省かどこかの「健全な家庭を築こう運動」のキャンペーンソングのようですが、その説教臭を闊達なメロディが和らげている感じです。

Thursday, March 02, 2006

Tさんの絵

Wednesday, March 01, 2006

土の喜び

  元向かいのご主人は一作年退職してから好きな畑仕事に熱中しました。送電線の下を借りた畑には五十にも余る種類の作物を作りました。男の人はやるとしたら思い切ったことをするものですね。刈った雑草をトラックで持ってきてもらって堆肥を山ほど作りました。苗もいいのを沢山買ったようです。荒地だったこともあってそれはそれは立派な作物が育ちました。元向かいの我が家にスイカを届けてくれましたが抱えきれないほどの大きいものでした。玄人はだしとはこういうのかと感心しました。
私も趣味で十数年畑をしていますがこれでいいということはありません。何かかにか失敗しています。暦も3枚目に入っ他ある日種を買いに行きました。待ちに待った種植の季節です。今年は桃太郎でないトマトの品種に手を伸ばしました。夫の姉が桃太郎は難しいと常々言うからです。本職の人が言うことに今年は耳を傾けてみようと思ったのです。なんたって野菜つくりは素人です。母が昔、いい作物を取りたいと思ったら連作はしない。苗と苗の間をひろく。それに有機肥料の堆肥を使う事といっていました。その頃は畑に興味がなくて芋が土の上になるか下になるかも知りませんでした。当時商売をしていて忙しい身で野菜作りに精を出し、出来た作物を人にあげて喜んでいた母の気持ちは理解できませんでした。それが今は母の気持ちが少しはわかります。結婚当初の同じアパートの住人が畑を作っていました。私もそこの土地を少し借りて野菜を作ってみました。その時に土をいじる楽しさをしりました。それから何年かごにこの地に住むようになって畑も借りる事が出来ました。何年も作物を作りましたがこれでいいということはありません。毎年、何かが足りなくて失敗ばかりです。それでも野菜を育てる事は私の癒しだと思っています。出来た作物はさることながら種を植えて苗を育てることに喜びがあります。毎日、毎日、苗や作物の育ち具合を見ては喜んでいます。一日や二日で生育に違いがあるわけでないのに朝に夕に畑に行って喜びを新たにしています。