葦のつぶやき

 江別に住んで三十年あまりになります。始めてこの地に来たとき電線を震わせる風の音がいやでした。それが今では他の地に住むのは考えれれないように根を下ろしてしまいました。

Wednesday, March 22, 2006

洗濯機が来た日

我が家は家具、金物、電気器具を扱っている商店だった。
昭和二〇年代の末頃、私が小学の中学年だったと思う。木枠に囲まれた大きな荷物が届いた。父がガードしていた木枠をはずと大人が腕を回しても届かない程の円筒系でドラム缶のようなものが出てきた。缶のまん中に棒が突き出ている。それが洗濯機というものだった、その時代に洗濯機などあまりでていなかった。早速井戸から水を汲んでその中に入れた。一斗バケツで二回ぐらい入ったのかもしれない。汚れものと洗剤を入れてスイッチをいれる。水槽が右に左にゆさゆさ揺れた。
家には子供が沢山いる上に病人もいたから小学生中学年でも掃除、洗濯、水汲み、食事のしたくと私も手伝わされた。
私はその手伝いの中でも洗濯は大嫌いだった。  Posted by Picasa
たらいとバケツと洗濯板と汚れものを共同水道場に持って行って洗うのだ。冷たい水に手をつけるのがいやだった。靴下や下着のような小さいものはいい。それでも一枚や二枚洗ったらもう逃げ出したかった。シーツは水につけると何処が汚れているか、何処まで洗ったのか判らなくなる。友達は遊んでいるし私も遊びたい。そんな時期に洗濯機が来た。
今のように洗濯物は真白な洗い上がりではなかったと思う。洗濯機の汚れ落ちのパワーはどうだったのか、構造上も優秀なものではない。洗剤もどんなのだったかは忘れた。水は金気のある硬質の水だ。
絞り機は水槽の上に二本のローラーがついていた。そのローラーに洗濯物をはさんでハンドルをぐるぐる回すのだ。
洗濯機が洗い終わりを告げるわけではない。きれいになったと思う頃に、水槽の上の二本のローラーを通す。
洗いからすすぎと何度もその工程を終えて漸く干す。絞り機はローラーを通すだけだから洗濯物から水がぼとぼと滴っているような状態だった。それでも洗濯機が家に来たときは嬉しかった。
今の全自動洗濯機などは汚れ物を放り込んでおくだけでいつの間にか洗いの全工程を終えている。おまけに乾燥機などもついている。
今姉妹で話すことがある。姉や妹は洗濯が大好きだという。しかし、手洗いを言っているのかなと私は思う。私は洗濯が怖い。昔のような洗濯の仕方だと一枚洗っただけでなげだしたくなる。これも昔、遊びに行きたいのにいけないで洗濯をしたトラウマかも知れないと思ったりもする。
洗濯機に拘らずあれから、時代の進化は目ざましい。掃除機、ミシン、冷蔵庫、炊飯器と何でもある。子どもの数も少ない。それでも子育てや家事が大変だと言っては母に笑われたこともある。
産めよ、増やせよ時代を生きた母は病人を抱えて店の仕事、帳簿付け、家事へと大変だったろう。あの頃の母から見ると娘である私達主婦がいかに楽な生活を送ってきたか。天国と地獄の感があるだろう。でも、母は子供達のためにそれを喜んでくれているはずだ。
今、不詳の娘は思う。母にプレゼントが出来たら何が一番喜ばれるだろうかと。

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